2010年11月19日金曜日

就活生による社会人神格化現象

就活生にとって社会人はどんな対象なの?

社会人は
早寝早起
何事も他人のせいにはせず、全て自己責任
仕事が最優先で、自分の仕事に社会性を見出している。
常に成長し続けている。

みたいな意味わからんイメージを持たれているんではないでしょうか?
『社会人とお話しできた!』 とか本当に大丈夫かって思ってしまいますね。


社会人みんなすごい大人であるならもっと世の中よくなってるはずだからね。
これは留意しておかなきゃね。

2010年10月3日日曜日

流行り

大学生でボランティア活動に従事している人が多いみたいですね。
素晴らしい!
なかなかできないことですよ!!

と言っても大学生がああいう活動をするのを甚だ疑問視しています。
別に動機なんか個人的にはどうでもいいと思っています。
出会いを求める、就活のためのアピールポイントのために、奨学金の募集要件でボランティアがあるから。
なんでもありでしょう!

でも大学生がやるべきことってのは要望があってただ無償労働を提供することじゃないでしょう。
やるべきことをあげるとするならば、
①ボランティアではなく継続的に活動が続くためにどうやったらビジネス化できるか考える。
②ボランティアが必要とされないような社会システムを構築する。

こういったことじゃないでしょうか?

ある友人は「困った人に手を差し伸べるためにボランティアをしています」と言っていました。
おそらくボランティアしている時間をバイトして稼いだ金を寄付した方が困った人は万々歳だよね。

ボランティアっていうのはとりあえず正しいこと。
誰も損をしないですから!(ボランティア活動を提供している人にとって損だとみなすことができるだろうけどね・・・)

目的は何ですか?
ボランティアすることが目的になっていませんか?
困っている人に手を差し伸べるのはボランティアじゃないとできないのですか?
ボランティアはすぐ取り組めるからいいと思っているのですか?構造的な問題で捉えたことはありますか?


やらない善よりやる偽善って言うのがボランティアの本質なのでしょう。
ボランティアは誰がやるべき?時間がある大学生?

社会の歪を修正する無償労働活動が社会の中で一番余暇時間があると思われる大学生によって提供されている現状。

ビジネス化できたNPOなりNGOの活動は面白いと思うんだな。
補助金獲得、税金対策し易いからあまり称賛はできないんですけどね。

それでは!

2010年9月13日月曜日

ありますか?政策立案能力

政策立案が流行っているみたいで・・・

これはすごくいい傾向だと思います!!みんながみんなどうやったら世の中よくなるんじゃ~ボケって考えているということだから。

最近思うことがあります。

それは、大学生って政策立案能力はないんじゃね?ってこと。

あるとするならば、政策分析能力とか政策評価能力くらいなもんだと思う。

政策立案能力ってのはある条件を与えられてその中で発生している問題に対しての解決策を練る力のこと。

知識人が解決策をいくつか挙げてその中でどれがいいかを選別する力(=政策分析能力とか、政策評価能力の方に該当する方)はあるでしょう。

そこで終わってしまっている。もちろん僕も政策立案能力はありません。

政策立案能力を得るには大きな壁があるようです。

その壁を打破できないのはなぜでしょうか?

それは、

①政策立案するよりも一般市民にとって大事なのは政策を分析する能力だから。

②教育現場でそこまでの能力を鍛え上げることは難しいから。

大きな理由は上記の二点だと思います!!

実際市民が政策立案能力を持ちうると不利益を被る層が存在してますね。

既得権益を持っている層です。

政治家であったり、官僚であったりここには自治体職員なんかも入ってくるかもね。

いや~これは実にもったいない。

三人寄れば文殊の知恵じゃないですけどね!

コンセンサス会議という手法がありますが、あれは

妥協策でしょう。市民の声とりいれる格好をみせることは非常に重要。政治とか政策の分野に意見が言えた~(^◇^)やった~っていう層は多いでしょうからね。

現状として、政策立案者は市民ではない。

これが誰にどのようなメリット(あるいはデメリット)があるのかを考えることが大切でしょう。

政策立案者≠市民→これは市民にとっては不利益です。

それでは!!


2010年9月4日土曜日

運命は反証不可能

出会えたことは運命。

運命は反証不可能で、何が運命で何が運命でないか判断できない。
今日ラーメン食べたことは運命かもしれないし、
生涯愛する人と出会ったことが運命でないかもしれない。

それは間違いないはずなんだけど、
この人は自分で運命変えたなって思えるような人生をあゆんでいる人っているよね。
貧しい階級から最終的に天下統一とか、高等教育を受けずに最終的に一国の首相になっちゃったり(誰のことおを書いてあるかバレバレな感じが好きです)

努力。
これは運命論では語れない唯一のものなんでしょう。
運命論信者は努力するのも運命って言うんでしょうけどね。
これは運命って感じるのって非常に嬉しいことでしょう。
奇跡的なめぐり合わせを運命として、気分を盛り上げるのは素晴らしいことだと思います。
でもなんかその運命ってのが予め決められてるかのようで私は嫌いなんです。
出会ったことが運命って言うのに、今日ラーメン食ったことは運命じゃないなんてことも反証できないですから。

ここに面白さがあると思います。
反証できないけど、自分の努力で運命を導く可能性があるということだから。
何をするのも運命なんですよ、努力するのも、しないのも。
そしたら、客観的にみてこの人は自分の力で運命変えたなって思ってもらえばいいわけです。
そしたら、運命は反証不可能でも事実として運命変えたとして認識されることができる。
努力のし甲斐があるってことですね。

まあ、運命論信者は、客観的に運命を変えたと思われるような行動をしたことも運命と言い切るのでしょうが・・・

2010年7月25日日曜日

朝まで生テレビに関して

朝まで生テレビが放送されていたそうで!
僕は見ていないのですが、扱ったテーマが世代間格差だったそうで。
間違ってたらごめんね!w

議論の中で若者の価値観が変わったというくだりがあったそうですね
猪子「価値観が変わったのに、前の世代は価値観を押し付て、その中でうまくやる方法しか教えてない」
猪子「残念ながら価値観は変わってしまったんだから今までの価値観を若者に押し付けるのをやめてくれ」
猪子寿之さんって方の発言なんだけどひどく違和感を覚えました。

単純に言うと古い価値観ってのは物質的欲求を満たすことに重きを置いていて
価値観が変わった先の新しい価値観とは心の豊かさと表現される非物質的な満足に重きを置いている(もちろん物質的欲求が満たされることで心が豊かになることはあるでしょう!)

猪子さんの発言は昔みたいな物質的欲求充足に終始していた古い価値観から今の若者は進化したんですよ!っていうニュアンスが含まれていることでしょう!

それって正しいのかな?
若者の価値観は変えられてしまったんだよ!多分。
人間って本来有り余る欲求があるはずでしょ。
あれもしたいこれもしたい、あれも食べたいこれも食べたい。
バブルの時なんか実現できていたじゃないの!
今の若者はそんな時代がもう来ないなんてことを肌で感じてる。
そうしたらお金のかからない生き方→お金がかからないことで欲求が充足するような価値観に変わらなければならない。そうしないと幸福だと感じられないから。
お金を使わないと得られないような幸福から脱却したわけ。
こうなったのは教育なんだろうね。
心の豊かさとか教育されてきたじゃない。ボランティアの精神とか下手に教えられてきたじゃない。
それが原因でしょうね。
中学の社会の資料集とかで社会福祉士の生き方が賛美されてるのなんておかしい話でしょう(社会福祉士を否定しているわけではございません)

植えつけられた価値観であることを自覚するべきだよねまず。
今権力を握っている人なんか本当に日本が崩壊するころにはこの世には居ないわけだから自分の子孫が安泰できるような状態を構築すれば、あとはバイバーイって話しだもんね。

心の豊かさを望むものがよかれとされる風潮にうんざり。
貪欲にもっと物質的欲求を求めようよ。
上の世代が得ていた富と同等の富を得られないようなら世代間格差は存在すると言えるでしょう。

といいつつも、芸術活動に勤しんで質素な暮らしをする人に憧れていたりする。
これも教育の影響だろうけどね・・・

2010年7月14日水曜日

「社会を変える」発言はエゴか??

大学生になってからでしょうか。
「社会を変えたい」というのをよく聞きます。
俗に言う社会を変えたい発言です。
俗にはいいません。
勝手に一般化しました。

さて、この発言聞くとどういった印象をうけるでしょうか?
自分の都合の良いように社会を創り変えてしまうのか?
なんか今までよりよくしてくれるのか~~
といったところでしょう。

私は社会を変えたい発言を聞くと何だか萎えてしまいます。
ただ注意していただきたいのが、社会を変えたいと言っている人を否定しているわけではございません。
なぜ萎えるのか?
それはエゴに感じるからです。
どういった社会に変えようとするかは?その変えようとする人が経験してきたものに左右されるでしょう。
受験勉強なんてこんなにつらいんだから、受験がないような社会にしたい!!社会を変えるんだ!!!みたいに。
これは極端かつ短絡的な例だけど、こういったものの延長で考えている人が多いのではないかと思います。
社会を変えるには、社会が変わることによって影響を受ける(まあ、社会が変わったら影響を受けるのは全数でしょうけど)人々のことを考えねばなりません。
社会を変えたいっていう動機付けがただ社会を変える過程で目立ちたいだけというのであればこの限りではありません。
人々のことを考えた発言であれば、こんな抽象的な言葉で突っ走らないと思うわけです。
社会を変える→こうすれば、~~にとってよい影響がある。○○にとって負担を減らせる。ぐらいにまで落とし込んでから発言すべき。よくするとかってのもかなり抽象的だけどね。
よくする!ってのは政治家の常套句ですからね。

具体性を帯びてないから、変えることに対して実践をできないと思うしかつ、社会を変えるっていうのがパラダイムシフトと言われるような大きな変化ではなく、現状のシステムの上でよりよく生きれる術を提示したいだけなのかもしれません。

社会を変えたいはエゴだと思います。
エゴだからと言って悪いわけではないでしょう。
エゴの個体で成り立っているこの世の中ですからね。
人間をエゴに生きる生物から生まれ変われようなことをしたいというのであれば、それは社会を変えたいに当てはまるかもしれません。というかそのぐらいじゃないですか?
実際先述した現状のシステム上でよりよく生きるすべの提示をしている場合がほとんどですからね。

2010年6月28日月曜日

「死ななければいいのに」

「死ねばいいのに」って言う人を最近よく見かけます。
なんか、寂しい!!
ってことで、「死ななければいいのに!!」ってのを流行らせたい!
「死ねばいいのに」って言われるより「死ななければいいのに」って言われた方が衝撃的なのはなぜなんでしょうか?


多様性が大事です。
多様性がないと生物は生きていけません。
ニッチが被ります。
ある領域でニッチが被ってしまったときはその領域の外に出ればいい。
がしかしそんなわけにもいかないのが現代。
ある領域で生存できなくなってしまって、外に出てもすでにその外に出て違う領域にいってもそのニッチはすでに先客がいる状況になっている。
今、言及している生物は情報です!!
ある領域で広まっている情報はいつのまにか、他の領域にも広がってしまいます。
得意気に自分だけしか知らない情報を話しても、そんなの知ってるよ!みたいな白い目で見られる世の中になってしまったということです。
昔はあるお笑い芸人が関東でやったネタを、東北でやっても笑いはとれていたけども
今は、東北でやるころにはすでにネタが東北にもばれてしまっている!!ということが起きているでしょう。
情報化社会って情報を殺すんですよね。情報の寿命を短くします。


多様性が大事です!
組織において多様性が本当に大事です!!
って言われますけど、組織において多様性が大事な理由を説明する方法は案外多いのでそれはどうでもいいのですが、多様性を確保するための手段って書いていないことが多いんですよね。
起業とかの採用方針で、いろんな人を採用します!!みたいなこと書いてあるけど、採用の際に多様性を確保するのも大事なんだけど、多様性を組織の中でどう維持していくのかがよくわからない。

僕自身が感じる多様性の維持で一番大切なことは、組織のトップがいかにバカをやれるかだと思います。
トップがへんな奴だから、俺もへんでいいじゃん!!って感覚を持たせること。
これで多様性を維持できる。

一番モチベーションをあげる方法ってのは自分らしくあるような環境を整えてあげること。
これ以上はないのだと思います。

どうへんであるかが一番重要なんだけど、それはまだまだわからん。

2010年5月25日火曜日

縦割り連携なき無機質な世知辛い世の中

本日財布をなくしました。

仙台→東京の新幹線の車内。
新幹線の中で財布の中のチケットで到着時間を確認したので新幹線の中でなくしたということは間違いないでしょう。

さてなくしたら、まず駅員さんに相談。
JR東日本には遺失物届などはないそうです。
その時点でまずは意味分らなかったですね。
届け出を出して、届いたら連絡を頂くという形をとれないのだそうです。

ある程度時間がたったらここに電話して問い合わせてくださいと電話番号が書いてある紙を渡されました。


さてここからが面倒でした。
財布の中にチケットをいれていた私は、改札を出れないわけですからね。
まあ、駅員さんに相談したら、発券窓口の人に相談してくださいと言われました。
発券窓口では、「いくら払ったの?」と言われ「往復で12000円位だったと思います」って言ったら
「往復でそんな安いはずないだろ、まあ出してやるには出してやるよ」と言われました。
改札の人にもちゃんと言ってねと言われたので再度改札に行き「発券窓口の方から通過してもいいと言われたのですが・・・」と言ったら、「じゃあ通ればいいじゃん」
JR東日本の駅の方の対応には甚だ疑問を感じます。

まあ財布をなくした私が悪いのですがね・・・

それと・・・
スリの可能性もあったので、警察署にも届けましたが、遺失物届をごり押しされました。
まあ、被害届となると一、二時間はかかるので、あちらの方も面倒なのでしょう。


ていうか、仙台と東京で遺失物届だしたんだけど、データベースの共有はされてないみたい。
技術的に簡単なことなんだからやればいいじゃんって話なんだけど、県警って横のつながりが弱いからね~~ソフトの面で無理なんしょう。

あと、遺失物総合データベースっていうのが日本にあったらいいと思いました。

されにですね、財布をなくても携帯がある場合
ドコモショップ、ソフトバンクショップなどで、SIMカードを利用して個人を認証して、個人を特定して、一時的に現金を貸し出すサービスってあってもいいのかなと思いました。
現代の駆け込み寺としての機能も通信事業者の店舗も設けてもいいのではないしょうか?
そして、通信費用と一緒に課金するといった形で。
孫さんやってくれないかな~~と思いました。

今どんな社会にしたいかと聞かれたら間違いなくこう答えます。
「なくしたものが手元に届く社会」

ぶいぶい

ブイブイはスーパマリオワールドの中ボス(゜o゜)

2010年5月1日土曜日

政策制作

学問が知識を得るものと思考力を得るに大別されるのがよく見受けられます。

歴史などは知識を得るもの
数学、統計学などは思考力を得るもの

知識に自分の力で付加価値をつける力のことが思考力という位置づけになるのだと思います。

このような大別になじまないのが政策学なのだと思います。
政策学っていう学問領域は存在します。知識を得る領域もあります。その知識をから付加価値を与えるという領域もあります。
政策学は二つの領域にまたがっているのです。っていうのはありきたりな解答になりますね・・・

政策っていうのは何かの対象に作用を与えることなんですよね。
何かに影響を与える。もしくは変化していくものの変化を止めたり。
その方向性の議論が政策には大きく関わってる。
政策っていうのはビジョンの領域も内在しているのです。

2010年4月25日日曜日

宇宙の言葉はテレパシー

サイボーグ009を見ていてテレパシーで意思の疎通ができるから、表情を持たない種族ってのがいた。





当事者意識
この言葉を語る人と大学になってからよく会う。
これって持ってても仕方ないでしょ。
当事者って言葉がまずほとんどマイナスの事象にしか使われない言葉である。
日本の不景気も、環境汚染も全部僕と関わりがありま~~す!日本の借金がどんどん増えていくのも全部僕と深い関わりがありま~~す!っておいおい!まあ、これはマクロ過ぎだな。
家の家庭ゴミの分別がされない、大学の授業に活気がな~~い!ってのと関係がありますくらいか。

まあ、事象の大小はともかくとして当事者意識ってのは持ったところで全く行動に移る気配がない概念だと思う。
なんか、ネガティブに自分にも責任があることを自覚しろってニュアンスなわけだ。
そんなものもてって言われてもね~(--〆)

もっと肯定的な言葉に置き換えられないか。
環境改善意識 改善って言葉がネガティブか。
変革可能意識 なんか上手い言葉が見当たらないかもともとの意味から遠ざかっていきそうなのでこの辺で。

まあ言いたいことは、
否定的ニュアンスを含むワードを使うと伝わらないってことです。


ダイエットを促す際に
デブという意識を持てっていうのと、もっときれいになれるっていう意識を持てっていうのはやはり違ってくるでしょ。
それは、人によりけりじゃんって話だと思うんですが、何らかの普遍性を与えるのが意見だと思うので、述べておきました。

まあ言いたいことは、
意見っていうのは、人によりけりっていう前提で普遍性に関して述べることだと思うわけです。





そのうち、意見と主張の関しても書こ~~。

2010年4月12日月曜日

負け組勝ち組幼稚園時はすずらん組

負け組、勝ち組って言葉があるけど客観的な判断でこれは判断できないと考える。

自分のやりたいようにやって社会的に見て失敗だったとしてもそれは勝ち組だと思うよ。

やりたいようにやっていない人なんてまず勝ち負けの土俵にすら上がっていないのだから。

やりたいことやっていない奴に負け組、勝ち組なんて言う資格なんてないはず。

やりたいことをやる努力をしているだけで多くの人よりすでに勝ち組ってことだ。

2010年4月5日月曜日

抽象的一体感、連帯感の希薄化、無指導者

誰がやっても同じことはするな。


発信することが容易な世の中になった。

Twitterで呟けば世界の誰かに発信される。
自分が考えていることを共有できる。
一つの発信が世界を変える可能性を帯びていると言っていいだろう。
文章、動画、画像、音声etcまたは、その複合体のコンテンツが世界を変える可能性があるのです。
って世界を変えるって表現は、現状が悪いっていう前提に立っていてあまりすきではありませんが。


さて、政治不審ってのはいつの時代もあったと思う。
絶対的な政権何てあるわけない。なぜなら誰かの正解は誰かの不正解だから。

それにしても、制度云々の話は抜きにして、自国の政治指導者を選んでいるのはその国の国民である。
選出した人の責任っていうのも確実にあると思うんですよね。
誰かを推薦して、その推薦された人が期待を裏切ってしまったら、推薦した人は少なからず責任を負うべきでしょう。
そのような意識はないのが政治の世界。

国家という共同体。
日本は、これといって一体感のない国であると思う。
イデオロギー的なまとまり。カリスマ指導者を基軸としたまとまり。

このようなものは日本には今存在しない。
その弊害が少なからず出てきたのではないか。
国家という一つのチームプレーができない。求心力ゼロ。挙句の果てに地方分権論争が、地方の裁量権を増やし地域にあった行政活動をするべきといった考え方が蔓延している。
地方政治よりも国家の政治の方が大きな影響を及ぼすのは自明のことであるのにだ。
国家としての求心力がない状態で、地方に裁量権を与えることの弊害はあまりにも大きすぎる。
この後の目に見えた展望は書いても仕方がない。

国としての求心力を今一度高める。
その方法は如何に?
その方法の一つが過去の偉人に畏敬にあずかること。
具体的に言うと、坂本竜馬という偉人の功績を利用して国の求心力を高めようとしている。
思想云々関係なく日本の国力をつけた人物であるから批判の的にならない。
海援隊を世直し集団とし、美しく描く。
それは、誰でもかっこいいと思います。

求心力を失い、経済も停滞する中での最終手段だったのではないでしょうか。
日本を何とかしなければいけないと思う若者が増えることが何よりも日本が活気づく材料だと思います。
外国から移民を受け入れたとしても、日本人がしっかりとしたビジョンを掲げ、ぶれなければ日本という国が滅びることはないでしょう。
強力な指導者のもとに一致団結すれば、問題ないことです。
だからって、外国人参政権賛成とか、移民の受け入れに賛成しているわけじゃなくてね!

まあ、最後に一つだけ言えることは、坂本竜馬は現代にはいない。

坂本竜馬のようにって意識を持つことは日本に有益なことは間違いでしょう。
大局を見据える姿勢。
目先に捕らわれがちな人間が苦手なことです。

2010年4月2日金曜日

ブルータスお前もか。

高校の世界史は面白かった。
訳のわからない名前ばっかり出てきてね。
マルクス・アウレリウス・アントニウスw
懐かしすぎる。

世の中よくできているな~~と感じること。
肉を食べると太ること。
これかなり単純なことなんだけど、不思議でならない。
肉を食べまくっても元気モリモリ、元気ハツラツになるわけでないんだよね。
何で、バランスよく食べなければいけないような体になっているんだろうな、不思議だ。


高校の時に考えていた味覚のこと。
食べ物の好き嫌い。
A君はみかんが好きでりんごが嫌い。B君はりんごが好きでみかんが嫌い。
味覚が違うからこういうことがおきるんだよね~って終わらない。
A君が感じるみかんの味は、B君の感じるりんごの味と一緒なのかもって考えていたわけですよ。

A君が感じるみかんの味とB君の感じるりんごの味をXと置き換えます。

このXの味が人間が好きと感じる味覚ってこと。
ちょっと文章で表現するのは難しいな。
人間には、、この味がおいしいってのがプログラミングされてあるんじゃないのってことです。
 
C君がトマトが好きだったらそのトマトもXってなるわけです。

好きな味はみんな一緒。
どれを食べて好きと感じるかだけ違うってことです。


まあ、そんなことあるわけないんだけどね~~

がしかし、否定することも実はできない。

2010年3月21日日曜日

豊かさと幸福としたたかさと

三種の神器→白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機
3C→カー、クーラー、カラーテレビ

これ持ってれば、豊かだぜい!うきうき、ワクワク!

その単純さがよかったな~。
テレビをつけ力道山見て、野球では巨人を応援し~(←東日本的考え)
日本国民の生活スタイルって、こんな感じっていう像があった時代はよかったな~。

今の日本人の生活スタイルって言われても想像できない。
朝起きて、何食ってんだろう?
どんな、テレビ見てんだ?
どんな、本読んでんだ?
わかんね~もんな~~。

こういう生活が豊かですよ~~って誰かが教えてくれた方が楽かもしれない。

豊かさの形の変化ってのをね、さまざまなアプローチから、追っていきたいなと、その上で現代を生きる僕たちは、どう生きていくべきなのかを考えたい。

まま、それは置いといて。
最近、公立の大学に行くわけですよ。
宮城大学、岩手県立大学とね。
思うことは、同じで、施設が泣いている。
設立当時の理念はどこへ行ったんだかねって。

さて、公立大学の卒論を見ていくと、共通点があることに気付きました。
それは、とりあえず、社会調査して、分析して、考察を加えて終了。
このパターンが多くの卒論で共通している。
アンケート調査して、その分析載せればページは稼げるからね。
んで最後に、その地域の特色を活かし、発展を続けていくべきだ。みたいな結論で終わる。
うん。何も起きやしないよね。これって、発表には、なるけどアウトプットではないでしょう。

アプトプットの話しに移ります。
アウトプットというと学んだことを、さらに多くの人に共有することにとどまっていやしないか。
それは、全くアウトプットでは、なくただの自己満足でしかない。
僕自身のアウトプットは、相手に何らかの作用をすること。発表して、相手になんら影響を与えていなければ、壁に話しているのと同じ、ただ発表者の理解が深まるだけです。
地域の調べ物をするんであれば、何らかの影響を与えよう。地域はただの教材ではないのだから。

アウトプットを勘違いしている人が多すぎる。
発表することが目的化してしまっている。
アウトプットは目的達成のツールであること今しがた心にとめておくべきだろう。

やはり、僕は、常体と敬体の混じった文体が好きみたいです。

ぽえ~ん(@_@;)

2010年3月15日月曜日

火達磨になる。

半年間かけて、準備してきたイベントが終わった。

いや~~忙しかったですよ。
引っ越しがあったり、ビジネスプランの発表会があったり同時並行でいろんなことしていた。
その中で、政策・情報 学生交流会の総代表を務めた。

今、気付いた。
僕は、代表というポジションが初めてだった。

さて、このブログには、約五カ月前くらいに、どんな、交流会にしたいのかを書いたわけだ。
「想い」っていう題名の日記で副代表に見せるためだけに書いたものだった。
副代表も「想い」っていう題名で、日記を書いた。
まま、簡単に交流会に対して感じる各々の想いのブレストであった。

それから、スタッフが集まり、交流会を作り上げることになる。

「想い」の日記に書いたけども、他団体との比較を僕はする。他団体と比較して、当団体はどんな社会性があるのか?って。

政策と団体名に入っているのだから、政策は少なからず関わらなければいけないよね。政策系の学部に広報しているわけだしね。
でも、特にもう政策の定義とかいう時代ではないのかなーって。
「社会をよくする」「問題を解決する」っていう漠然としたしたものでいいでしょう。まあ、これは、定義ではないけどねwww

政策ってのは辞書的な意味とかは、すでにあるけどその定義だけで語れないような時代になったのだと思う。
今までの定義だと、「各人の利益追求の結果生じる弊害の調整」になるのかな。これは、僕の定義なので鵜呑みにしないで。

利益追求の時代ではなくなってきている。
「幸せの形は人それぞれ」とか、まさにそれを言い表しているのかね。
そう思わされているっいう議論は、今はしません☆

幸せの形が決まらないと、政策の指針(そもそも、政策の意味自体が指針を含有しているけど)が決まらない。
だから、抽象ワードのオンパレードで問題解決、幸福追求が出てくるわけだ。

ここまでは、前置きで、先述したことを踏まえると、各人が充実した人生を送ることが結局は正しくなるのだと思う。
各人がよりよく生きていこうとか思うようにすることが、政策なのでないかって。
今回の交流会のコンセプトはそういう意味合いも内包している。
そう考えたときに、当団体のやっているいることは、非常に重要であると考えられる。
結局政策立案したところで、教養が深まるだけであるからね。

30回交流会は終わりましたが、これから、どのようなムーブメントが起きるのか。
各々の成長が周囲にいい影響を及ぼし、そのいい影響の輪が広がっていく。
コンセプトの根底にあるのは、各人の成長が、他者に対していい影響を与え、それが広がっていき、よりよい社会を作る。ひとりひとりの存在が政策であるということ。

おお!!長くなってる。
硬いね~。

皆さま、本当にありがとうございました。

2010年2月24日水曜日

ぶ~~ひ~~

不安産業

霊感商法とか、医療の話があげられる。

俺は、受験産業、就職産業が主なものだと思う。

煽る、煽る、煽る。

人生どれだけ、煽られるのかね。

煽られるのを楽しんだ者勝ち。

不安産業は、おれは、不必要だと思う。
何も生み出しやしないから。

2010年2月15日月曜日

当たり前に僕。

銀河系軍団レアルマドリード(*^。^*)
すっごく気持いいんだろうなー。
ニッチトップ集団
特化。
最強チームの一人。


笑顔で守られると錯覚するはず。
あー、この人いつでも、味方でいてくれるって。

いなくなってから、ありがたみに気づくってこともあるけど、
いるときにありがたみに気づいてしまった。
なんでこんなによくしてくれるの?
何もしてない自分に対しての憤りと自分の不甲斐なさで、体の震えが止まらない。

2010年1月12日火曜日

ジュディー!!君はなんてことを言うんだ!!

お世話になった人にお礼を言うのってなかなか難しい。
こ恥ずかしい気持が邪魔して、言いだせないものです。

言いたい気持ちはあったのにー、時間がたち過ぎて、お礼をいうのもなんだかなー状態にいつも陥ってしまう。
今年は、すぐにお礼を言おう!!「ありがとう」を言おう!!
っと決意してもいいんですが、「ありがとう」連呼すると、その人に「ありがとう」の信ぴょう性がどんどん薄まっていく気がする。
だから、僕は、ありがとうを極力言わないようにする。
っていうのもなんだか感じ悪いしなー。

ってことで、ありがとうを適度に言うことに決めました。
適度って便利な言葉ですね。
おそらく、この魔法の言葉を使うことで、議論は大抵、終えることができる。(議題の解決をよそにね)



昨年出た一つの答えは,問題というのは、根っこの部分でつながっているってことだ。
格差も
食の問題も
政治の問題(←ぼかした表現しかできない)も
すべてかかわりがあるんだなー。

全ての人間に等しく人権がある。
この人権ってやつを各々が主張し過ぎて、生じる矛盾が問題と定義しています。
たとえば、環境問題とか、格差とか。社会問題全てをあげてもこの定義にあてはまると今のところ考えています。
これをなんとか、しようとする働きとこれをうまく利用しようとする働きが、全ての団体に当てはまるのはないでしょうか?世界平和を当団体は目指しますとか、社会のために、当社は働きますとか。

問題を解決するのが、政策という名称の崇高な人間行為なり、信仰なんだと思います。

この波にうまくのってしまう数少ない層がいつの時代も存在している。

時の王様、開祖、政治家(←一部を除く)etc
僕についてくれば安心さ!!みたいなことを言って、支持されるような人です。
こんな、構図はおもしろくない。

でも、均衡が保たれている。
これは、なぜか?
おそらくは、自分遺伝子を後世につたえるという生物の役目(←生物の役割は、そんなもんじゃないって反論はあるかもしれないが)を果たすと、あらゆることに無頓着になるのだからでしょう。(自分の遺伝子を後世に伝える個体の存続させるのに忙しいから)
現在これが困難になってきている(生活を維持するのが困難で子供をもうける余裕がない)から、なんかとんでもないことが起きるんじゃねーー?って気がするのです。

格差とか、環境問題は起きる理由は、落とし込めるだけど、自分が理解できないものがひとつあります。
それは、家庭環境の崩壊。
これは、人間という生物がなぜするのか説明つくのかなー?
動物でも、子の育児放棄なんてあるけど、これもなんでなんだろうな。
医学、生物学、生態学、心理学とかの研究したら分るのかなーー?
研究する気になれんなー。

僕は、不干渉に生きるのがいいからな。
でも、綺麗な奥さんは欲しいな。綺麗な奥さんをもらう努力は、いっしょーけんめーしよーー。(^3^)
波乗りを覚えよう。

2010年1月7日木曜日

最強の発奮材料は、敵の創出

なんか、誰とも争っていない世の中なんか、つまらんなー。

誰かと喧嘩していたほうが、楽しいさ。

学校のみんな大好きーーってよりも、学校に嫌いなやつがいるほうが絶対楽しい。

小中学校とグループ同士の衝突とかあったけど、敵対するグループってのがあるグループの結束ってのは、深まるんだな。

つまり、結束を固めるには、敵をつくってしまえってことです。

とにかく、敵をつくるのです。
ムカつかれるのです。
目の敵になるのです。

まあ、単体で戦うのが一番楽しいでしょう。
仲間がまったくいない状況で、そこから、共感してくれる人がどんどん増えていく感覚。

イヤ。
嘘言った。
一番楽しいのは、敵が仲間になった時だ。
こんなに、嬉しく、楽しいことはない。

2010年1月2日土曜日

刷新、更新

新しい年になりました。
年末のお祭りムードっていいですね。
クリスマス、お正月、最高ですね。

不景気、不景気うるさいですね。

不景気っていってる人が、どのくらい、経済状態を理解しているのでしょうか?
経済なんてもんは、生き物ですね。
完全に。
そんな、生き物が、ご機嫌損ねてる状態ってことですよ。
なんか、そんな説明がしっくりくる。

金融政策ってのは、その生き物に餌をあげてる状態。
よく、その餌を間違えるんだな。
お腹空いてると思って、餌をやりゃ、腹痛起してる時だったり。
腹痛起こしている時に、飯食わされるとさらに苦しくなる。
生き物がどんな状態なのか、把握しづらい。
でも、その生き物ののご機嫌伺って、金儲けもできる。
それが、証券。
生き物の機嫌を伺うのに、長けているのが経済学者。
でも経済学者でも気分屋の生き物の気持はなかなか分らない。
気分屋の生き物に翻弄されているのなんて、バカバカしくないか。
まあ、世の中には、うまくやる人間がいるわけで。
政府が、餌をやるのをよーく監視している奴らがいる。
政府の餌と、あの生き物の状態を分析して、生き物がどうなってしまうのかってね。


人間は、生き物にビクビクして生きていのだ。
餌を間違える政府に苛立っているのだ。

飼育係の政府さんが困っているんだから、ただ見てないで、怯えてないで、
なにか行動を起こすか、生き物がいくら暴れようと、違うことに熱中して、気付かないようにすればいいんだ。


ぼくは、行動を起こす、または気付かないように何かに熱中するというより、傍観していたいです。経済活動、芸術活動よりも、俯瞰活動。俯瞰しつつ、流れに乗るだけのゆとりが欲しい。