2010年9月13日月曜日

ありますか?政策立案能力

政策立案が流行っているみたいで・・・

これはすごくいい傾向だと思います!!みんながみんなどうやったら世の中よくなるんじゃ~ボケって考えているということだから。

最近思うことがあります。

それは、大学生って政策立案能力はないんじゃね?ってこと。

あるとするならば、政策分析能力とか政策評価能力くらいなもんだと思う。

政策立案能力ってのはある条件を与えられてその中で発生している問題に対しての解決策を練る力のこと。

知識人が解決策をいくつか挙げてその中でどれがいいかを選別する力(=政策分析能力とか、政策評価能力の方に該当する方)はあるでしょう。

そこで終わってしまっている。もちろん僕も政策立案能力はありません。

政策立案能力を得るには大きな壁があるようです。

その壁を打破できないのはなぜでしょうか?

それは、

①政策立案するよりも一般市民にとって大事なのは政策を分析する能力だから。

②教育現場でそこまでの能力を鍛え上げることは難しいから。

大きな理由は上記の二点だと思います!!

実際市民が政策立案能力を持ちうると不利益を被る層が存在してますね。

既得権益を持っている層です。

政治家であったり、官僚であったりここには自治体職員なんかも入ってくるかもね。

いや~これは実にもったいない。

三人寄れば文殊の知恵じゃないですけどね!

コンセンサス会議という手法がありますが、あれは

妥協策でしょう。市民の声とりいれる格好をみせることは非常に重要。政治とか政策の分野に意見が言えた~(^◇^)やった~っていう層は多いでしょうからね。

現状として、政策立案者は市民ではない。

これが誰にどのようなメリット(あるいはデメリット)があるのかを考えることが大切でしょう。

政策立案者≠市民→これは市民にとっては不利益です。

それでは!!


2010年9月4日土曜日

運命は反証不可能

出会えたことは運命。

運命は反証不可能で、何が運命で何が運命でないか判断できない。
今日ラーメン食べたことは運命かもしれないし、
生涯愛する人と出会ったことが運命でないかもしれない。

それは間違いないはずなんだけど、
この人は自分で運命変えたなって思えるような人生をあゆんでいる人っているよね。
貧しい階級から最終的に天下統一とか、高等教育を受けずに最終的に一国の首相になっちゃったり(誰のことおを書いてあるかバレバレな感じが好きです)

努力。
これは運命論では語れない唯一のものなんでしょう。
運命論信者は努力するのも運命って言うんでしょうけどね。
これは運命って感じるのって非常に嬉しいことでしょう。
奇跡的なめぐり合わせを運命として、気分を盛り上げるのは素晴らしいことだと思います。
でもなんかその運命ってのが予め決められてるかのようで私は嫌いなんです。
出会ったことが運命って言うのに、今日ラーメン食ったことは運命じゃないなんてことも反証できないですから。

ここに面白さがあると思います。
反証できないけど、自分の努力で運命を導く可能性があるということだから。
何をするのも運命なんですよ、努力するのも、しないのも。
そしたら、客観的にみてこの人は自分の力で運命変えたなって思ってもらえばいいわけです。
そしたら、運命は反証不可能でも事実として運命変えたとして認識されることができる。
努力のし甲斐があるってことですね。

まあ、運命論信者は、客観的に運命を変えたと思われるような行動をしたことも運命と言い切るのでしょうが・・・