大学生になってからでしょうか。
「社会を変えたい」というのをよく聞きます。
俗に言う社会を変えたい発言です。
俗にはいいません。
勝手に一般化しました。
さて、この発言聞くとどういった印象をうけるでしょうか?
自分の都合の良いように社会を創り変えてしまうのか?
なんか今までよりよくしてくれるのか~~
といったところでしょう。
私は社会を変えたい発言を聞くと何だか萎えてしまいます。
ただ注意していただきたいのが、社会を変えたいと言っている人を否定しているわけではございません。
なぜ萎えるのか?
それはエゴに感じるからです。
どういった社会に変えようとするかは?その変えようとする人が経験してきたものに左右されるでしょう。
受験勉強なんてこんなにつらいんだから、受験がないような社会にしたい!!社会を変えるんだ!!!みたいに。
これは極端かつ短絡的な例だけど、こういったものの延長で考えている人が多いのではないかと思います。
社会を変えるには、社会が変わることによって影響を受ける(まあ、社会が変わったら影響を受けるのは全数でしょうけど)人々のことを考えねばなりません。
社会を変えたいっていう動機付けがただ社会を変える過程で目立ちたいだけというのであればこの限りではありません。
人々のことを考えた発言であれば、こんな抽象的な言葉で突っ走らないと思うわけです。
社会を変える→こうすれば、~~にとってよい影響がある。○○にとって負担を減らせる。ぐらいにまで落とし込んでから発言すべき。よくするとかってのもかなり抽象的だけどね。
よくする!ってのは政治家の常套句ですからね。
具体性を帯びてないから、変えることに対して実践をできないと思うしかつ、社会を変えるっていうのがパラダイムシフトと言われるような大きな変化ではなく、現状のシステムの上でよりよく生きれる術を提示したいだけなのかもしれません。
社会を変えたいはエゴだと思います。
エゴだからと言って悪いわけではないでしょう。
エゴの個体で成り立っているこの世の中ですからね。
人間をエゴに生きる生物から生まれ変われようなことをしたいというのであれば、それは社会を変えたいに当てはまるかもしれません。というかそのぐらいじゃないですか?
実際先述した現状のシステム上でよりよく生きるすべの提示をしている場合がほとんどですからね。
0 件のコメント:
コメントを投稿