2010年4月5日月曜日

抽象的一体感、連帯感の希薄化、無指導者

誰がやっても同じことはするな。


発信することが容易な世の中になった。

Twitterで呟けば世界の誰かに発信される。
自分が考えていることを共有できる。
一つの発信が世界を変える可能性を帯びていると言っていいだろう。
文章、動画、画像、音声etcまたは、その複合体のコンテンツが世界を変える可能性があるのです。
って世界を変えるって表現は、現状が悪いっていう前提に立っていてあまりすきではありませんが。


さて、政治不審ってのはいつの時代もあったと思う。
絶対的な政権何てあるわけない。なぜなら誰かの正解は誰かの不正解だから。

それにしても、制度云々の話は抜きにして、自国の政治指導者を選んでいるのはその国の国民である。
選出した人の責任っていうのも確実にあると思うんですよね。
誰かを推薦して、その推薦された人が期待を裏切ってしまったら、推薦した人は少なからず責任を負うべきでしょう。
そのような意識はないのが政治の世界。

国家という共同体。
日本は、これといって一体感のない国であると思う。
イデオロギー的なまとまり。カリスマ指導者を基軸としたまとまり。

このようなものは日本には今存在しない。
その弊害が少なからず出てきたのではないか。
国家という一つのチームプレーができない。求心力ゼロ。挙句の果てに地方分権論争が、地方の裁量権を増やし地域にあった行政活動をするべきといった考え方が蔓延している。
地方政治よりも国家の政治の方が大きな影響を及ぼすのは自明のことであるのにだ。
国家としての求心力がない状態で、地方に裁量権を与えることの弊害はあまりにも大きすぎる。
この後の目に見えた展望は書いても仕方がない。

国としての求心力を今一度高める。
その方法は如何に?
その方法の一つが過去の偉人に畏敬にあずかること。
具体的に言うと、坂本竜馬という偉人の功績を利用して国の求心力を高めようとしている。
思想云々関係なく日本の国力をつけた人物であるから批判の的にならない。
海援隊を世直し集団とし、美しく描く。
それは、誰でもかっこいいと思います。

求心力を失い、経済も停滞する中での最終手段だったのではないでしょうか。
日本を何とかしなければいけないと思う若者が増えることが何よりも日本が活気づく材料だと思います。
外国から移民を受け入れたとしても、日本人がしっかりとしたビジョンを掲げ、ぶれなければ日本という国が滅びることはないでしょう。
強力な指導者のもとに一致団結すれば、問題ないことです。
だからって、外国人参政権賛成とか、移民の受け入れに賛成しているわけじゃなくてね!

まあ、最後に一つだけ言えることは、坂本竜馬は現代にはいない。

坂本竜馬のようにって意識を持つことは日本に有益なことは間違いでしょう。
大局を見据える姿勢。
目先に捕らわれがちな人間が苦手なことです。

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