お世話になった人にお礼を言うのってなかなか難しい。
こ恥ずかしい気持が邪魔して、言いだせないものです。
言いたい気持ちはあったのにー、時間がたち過ぎて、お礼をいうのもなんだかなー状態にいつも陥ってしまう。
今年は、すぐにお礼を言おう!!「ありがとう」を言おう!!
っと決意してもいいんですが、「ありがとう」連呼すると、その人に「ありがとう」の信ぴょう性がどんどん薄まっていく気がする。
だから、僕は、ありがとうを極力言わないようにする。
っていうのもなんだか感じ悪いしなー。
ってことで、ありがとうを適度に言うことに決めました。
適度って便利な言葉ですね。
おそらく、この魔法の言葉を使うことで、議論は大抵、終えることができる。(議題の解決をよそにね)
昨年出た一つの答えは,問題というのは、根っこの部分でつながっているってことだ。
格差も
食の問題も
政治の問題(←ぼかした表現しかできない)も
すべてかかわりがあるんだなー。
全ての人間に等しく人権がある。
この人権ってやつを各々が主張し過ぎて、生じる矛盾が問題と定義しています。
たとえば、環境問題とか、格差とか。社会問題全てをあげてもこの定義にあてはまると今のところ考えています。
これをなんとか、しようとする働きとこれをうまく利用しようとする働きが、全ての団体に当てはまるのはないでしょうか?世界平和を当団体は目指しますとか、社会のために、当社は働きますとか。
問題を解決するのが、政策という名称の崇高な人間行為なり、信仰なんだと思います。
この波にうまくのってしまう数少ない層がいつの時代も存在している。
時の王様、開祖、政治家(←一部を除く)etc
僕についてくれば安心さ!!みたいなことを言って、支持されるような人です。
こんな、構図はおもしろくない。
でも、均衡が保たれている。
これは、なぜか?
おそらくは、自分遺伝子を後世につたえるという生物の役目(←生物の役割は、そんなもんじゃないって反論はあるかもしれないが)を果たすと、あらゆることに無頓着になるのだからでしょう。(自分の遺伝子を後世に伝える個体の存続させるのに忙しいから)
現在これが困難になってきている(生活を維持するのが困難で子供をもうける余裕がない)から、なんかとんでもないことが起きるんじゃねーー?って気がするのです。
格差とか、環境問題は起きる理由は、落とし込めるだけど、自分が理解できないものがひとつあります。
それは、家庭環境の崩壊。
これは、人間という生物がなぜするのか説明つくのかなー?
動物でも、子の育児放棄なんてあるけど、これもなんでなんだろうな。
医学、生物学、生態学、心理学とかの研究したら分るのかなーー?
研究する気になれんなー。
僕は、不干渉に生きるのがいいからな。
でも、綺麗な奥さんは欲しいな。綺麗な奥さんをもらう努力は、いっしょーけんめーしよーー。(^3^)
波乗りを覚えよう。
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