2011年2月11日金曜日

卒論を終えての感想をつらつらと。

卒業論文の発表会を終えましたー
提出書類全部出しましたー
これで晴れて卒業できます。先生ももう既に成績をつけられてたそうで、卒業できることができます。
なにか問題を起こさなければという条件は常についてまわりますけど。

学業の集大成という形で卒論を書いたわけですけど、これでよかったのかという後悔の念と
卒業論文、卒業研究が有意味であるのか?という疑念が湧いてきました。

僕が所属する総合政策学部の卒業論文のテーマは多岐にわたりますが、そのほとんどは専門性は高くないものばかりです。
専門性がないというのは一つの学問を掘り下げたわけではなく、様々な学問分野に関連する研究になっているということです。

総合政策的であるということもできますが、何の意味があるのか?
専門的に研究せずして何が生み出されるのか?
専門性は問題を打破する鍵になるはずです。

いくつか卒業研究の発表会を聞いていましたが、専門性があるのにも関わらず表層的に扱って安易な結論を導き出しているという印象を受けました。

何故そのサンプルを選んだのか?
サンプル数が少なくないか?
データから導き出せない結論を導きだしてはいないか?

つっこみどころ満載でした。

総合政策学部の特徴として、いろいろな専攻の先生がたがいらっしゃいます。
そのため自分の関心のある分野で勉強ができる。しかも表層的に。
自分で問題を設定して、問題を分析し、解決策を提示する。
分析をする際には何らかの専門的な勉強をしていないと、その分野の研究をしていない人でも提示できるような解決策しか提示できないでしょう。

結論として、何らかの専門性がないと問題は解決できないし、そもそも研究にさえならないですよ。ってことです。


じゃあ、何ができたのかを今問い直してみる。
やれることをやる。行動するということだったのかと思います。
専門性がないのであれば行動で示すということです。
今、自分が社会に対して創造できる価値を提供する過程を卒業研究にしてもいいのではないかと思います。
実際行動の影が見えたものがなかったですからね。

自分の研究論文に関して、多大な反省があります。
得たことがないと言えば嘘になります。
この論文を書いたことで誰かのためになったかと聞かれたら、自分のためにしかなってませんと答えるしかないでしょう。