幸せな家庭を想像してください。
奥さんがいて、子供が二人いて、犬なんか飼っちゃったりして。
そんな光景が目に浮かぶんだよね。
確かに、それは幸せ。
間違いないと思う。
けど、この家庭像を目指してしまっては、残せるものは子孫だけになってしまうのではないだろうか?
子孫を残し、後世に託す。
この流れを幾度となく繰り返してきた世界は、技術の進歩を手に入れた。
継承される知識、技術。
技術水準だけでみれば、後世のものは、後世であればある程、得をすることになる。
じゃあ、後世に生まれれば、幸せをを享受できるのか?
それは、NOだ。
幸せはいつの時代も絶対化しない。相対化して初めて成立する。
いつの時代の人も、蔑み、いがみ合い、不幸自慢も得意で、自分の幸自慢も得意である。
そう自分は、如何に他者よりも、幸せであるかを知りたがる。
他者の不幸を移すテレビ番組が、高視聴率をあげる所以が説明できる。
今を生きているのは、この一瞬一瞬に生命活動をしているものだけ。
変えられるのは、この者たち。
豊かな層の移動はしない構図になっていることに気付かないようにさせている層がいる。
富裕層は、革命なんかが起こらない限り、変わることはない。
自分の子孫に何ができるのか?
平等な社会を創る?
自分の子供にひいき出来てしまうのは、平等ではないのか?
たとえ過去の偉人がいくら世の中に疑問を投げかけても、自分の子孫を守ることは、変わらない。
生命活動のもとに成り立つ、絶対的領域の確保に最大限の力をそそぐ。
そして、人生においては、自分を遺伝子という媒介によって、後世に残すことを最低目標として、
掲げているようだ。
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