社会性とは、世の中のため、人のためになっているということ。
これは、自分の定義ですが。
交流会で、政策立案をしても、あまり意味はないことだと思う。
学術に優れているものを提供するのであれば、偏差値が高い国公立大学、私立大学、呼べば
いい話ですからね。(短絡的な考えではありますが正しいことだと思います。)
あらかじめ、準備期間を用意して、勉強会なりを開けば、別だと思いますが・・・
さて、今まで、交流会ができたこと、多数の学生の啓発と、少数の学生のワークショップ実施の機会の提供ではないだろうか?
三泊四日、あるいは、四泊五日その中でできるのは、それぐらいが限度。
啓発された学生が、何かの活動を起こすことが、社会性につながっている。
ワークショップを開いた学生が、さらにその経験を生かし、さらに羽ばたくことが、社会性につながっている。
交流会自体が、何らかの政策になっているという見方をしてもいいのだろう。
motivation&networkに特化したのは、何も特に活動していない学生が、活動している学生を見て触発されるから。
なんか、やってみようという動機づけを、他大学の学生から、得る場となった。
選考をかけないで(敷居を低くして)きた結果が、motivation&networkとなったのであろう。
選考かけないのは、仕方のないことだとも思う。
論文提出を要求したりしたら、まず、参加する学生が減ることでしょう。
参加人数が集まらなければ、運営母体もない、スタッフの財布からお金が出ることになります。
そんな、リスクは誰もかけられない。
国際学生シンポジウム、GEIL,KINGなどとの差別化が出来ている点は、先ほども出てきたが、
敷居の低さ、大学生ならだれでも参加で出来る点。
それが、仇になってきた。
しかし、その意味をもう一度問い直してもいいのではないだろうか?
motivation&networkの要因となっているところをもう一度見つめなおす。
そうすれば、交流会は、次のステップにいける。
かなりの私意見をここからは、述べます。
そんなの違うよってところは、多々あるとおもいます。
先ほどあげた、団体は、エリート養成講座。
僕らが、日本を背負っていくぞ!くらいの気負いを感じます。
それは、すごくいいことですが、なんか、現場から目をそらして、学術に特化して、政策立案を考えている気がしてならない。
官僚気質。(もちろんそうでない方々も大勢いることは、わかっています)
現場という言葉を使いましたが、何をいいたいのかというと、実態を知るということ。
実態を知らないで、議論が進んでいやしないか。
こやしの臭いを知らずに、環境対策語られてもね。
カエルも触れないで、生物多様性語るなって。
話がずれましたが、交流会は、実態を知る場に特化すれば、いいのかなって思っております。
論理の飛躍があったと思いますが、言いたいとこまで、言えたので、この辺で・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿